hitotamiの日記

pixiv在住腐の散文です。普段はFree!メインの文字書きです

まだまだ寒い日が続きます

オリンピックって気づくと始まってるし見かけないなと思ったら終わってるしで3週間という期間ってあっという間なのですがそれはそうとこれからパラリンピックも始まるわけで選手の皆様には障害を抱えながらの極寒の地での試合だなんて体調管理もさることながら移動中の怪我にも本当気を付けて欲しいものですっていい事かいた体なのに毛ガニもって変換するおめえのパソコン本当に食い意地張ってるよね?

政治を超えて競い合う最高のステージと言う意味で必要なのかなあって思うのですがテレビの放映権で試合時間が左右されるとか本当にどうなんですかね?やっぱりショーなんですかね?それはさておいてもモチベーションとポテンシャルをハイなところに継続して持ち続けるのって至難の業だと思うのでVS世界って本当に大変なことですよ

 

などどいろいろ思う事があった今日この頃なんですが、私事ではわたしの大きなおばあちゃんが天に召されるなどいたしましてそれなりにばたばたしておりました。御年105歳のそりゃあもうこの上なく大往生だったのですが、ちょっと気になったのでおばあちゃんが生まれた頃って何があったんじゃろ?と思い調べてみたらばオスマントルコがバルカン諸国と一時停戦してたり大正デモクラシーが興っていたり袁世凱が革命起こしてたりでこりゃ歴史じゃん!教科書で習ったよね?位の衝撃を覚えまして。つうかオスマントルコそんな最近まで存続してたの?とか第一次世界大戦て勃発するの1914年だし改めて授業さぼって寝てたんだなあ感溢れるのですがそらもう歴史じゃん2度め!!!てなりますよね…徳川慶喜と少しでも同じ世界の空気吸ってたんだなあとか感慨深すぎますよほんと

ばあちゃん自体の人生も割とロックでお針子に出された東京で途中で尺貫法がセンチメートル法に替わって寸、尺からセンチ、メートルに単位が変換できなくてお針子辞めた人が結構いた時代だったらしかったんですが、そこを乗り切った後キリスト教に目覚め職場で迫害を受け(本当に迫害というレベルだったようで)強制解雇され、困っていたところ教会で旦那さんを紹介され子宝に恵まれ専業主婦を経て気が付いたら看護師さんになっていたという人生の先輩としても凄く尊敬できるお方でした。連れ合いの旦那さんもわりに職が定まらずフワフワした方だったようですがダイヤモンド婚まで添い遂げ、見送ったのはもう素晴らしいの一言に尽きると思います。

個人的には1913年て志賀直哉が山手線ファイトして頭に怪我したというのが限りなくツボでしたが年寄りが一人無くなると大きな図書館が一つ無くなるのと同じ。ていう言葉を改めて感じる出来事でした。それとおばあちゃんの実家の親戚80歳前後の方々20人位がびっくりするくらい高身長で平均180センチとかどこの騎馬民族なん?ていう納骨時の人垣の高さは圧巻でした……何で私は身長高くならなかったのかな?ふしぎ?

まあそんなだったのでもちろん25日も参加できる訳もなく会場はポリスメン出動してたりとか変な賑わいだったようですがまあしばらくは行けそうにもないので設営完了ツイートでも見ておおお!って思ってようと。

 

そんなわたついた日常の支えはやっぱりPPTPだったりアンナチュラルだったり花丸だったりぷれしゃすキスミーだったりするのですが夜は即スヤァ案件でなかなか堪能できないのですが次の休みは本当に支えを愛でつつグダグダ休みたいと思います……!